北の国のぺんや / toriaezu@nandemo-note

noteから引っ越し作業中

手帳&ノート迷子時代の3ヵ月

「5分で適当に書く」=低いハードルでとにかく続けよう、というコンセプトのこの日記。
本業がバリバリにハードスケジュール(当社比)の中、我ながらがんばっている(当社比)と、己を鼓舞しながら、なんとかここまで来た。

今日は、自分にとっては切ない歴史である、手帳・ノート術迷子時代の話を書くことにする。

手帳やノートが大好き。

大学生になってからは特に手帳遍歴がすごくて、家族にも「また買い替えたの?」と呆れられていたほど。
これまでに読んだ「手帳術」「ノート術」と銘打った本は、もう数えるのを諦めたくらい。メジャーどころはだいたい読んでると思う。

 

今は手帳を使っていない。

A5サイズのノート(campusとか100均とか)にクリアカバーをつけて、そこにExcelで自作したカレンダーを挟んで持ち歩いている。忘れてはいけない予定は、そこにとりあえずメモ。

家族と共有する必要がある予定はGoogleカレンダーの家族アカウントにも登録している。

仕事の予定はデスクの卓上カレンダーにも書き込んでいる。
これは、自分の仕事上の判断にも使うのとともに、会社の人たちに見せるものとしても使っているので、重要度に応じて色マーカーで囲ったり、締切を赤字にしたりと「アピール性」も意識してる。
ヤな性格だと思われるかもしれないけど、こうでもしないとどんどん上乗せで仕事がやってくるから、自分を守るために編み出した手段なのです…!
(我が社は超アナログな会社です)

手帳がないと生きていけない、その大きな理由の一つだった「仕事のタスク管理」については、自作Excelで全てまかなえるようになった。
ほぼ関数だけのシンプルなものだけど、タスク管理・作業手順書・一日の時間配分管理・業務記録を1ファイル内でできるようにした。
昨年度1年間続いたので、年度末に仕事量をグラフ化したときは快感だったな~。

現状は、この仕組みが自分にとって作業的に(経済的にも)ラク。状況次第で今後も変化すると思う。

 

ここに至るまでの、大学生の頃から10年以上続いた迷子の状況がこちら。

だいたい、自分の体調や気分の波が3か月スパン。
それに合わせて、手帳術やノート術も色々変えてきていた。

3か月×4回=1年!


コトの起こりは、だいたい、気分が落ち込んだ頃。
「うまくいかない」「うまくできない」と何かしらにモヤモヤし始めたときが、スタート地点。

うまくいかない、うまくできない理由は、別に手帳やノートに関係なく、その時の自分の波や運、あとは単純に能力値が足りないというだけだったりするのだけど、「うまくいっていない!」という気持ちに囚われがちな完璧主義の私は、ここで何かにすがりたくなってしまう。

そうすると、いい感じに何かの広告や、ハウツー本が情報を提供してくれるものです。
広告や本、他人の体験談自体は「良きもの」。
自分に合うようにカスタマイズして取り入れるとか、うまく活用できれば良きものなのですが、何も考えられないアタマになっている私には「丸ごとコピー」しか思い浮かばない。そして、これさえあれば、この人みたいにうまくいくんだ…!と信じ込んでしまう。

私の手帳術・ノート術遍歴は、お買い物履歴とセット。
新たな神器をお迎えするところが、一番輝かしく、楽しいところ。
…でも、私の場合は、買うこと自体がストレス発散になってしまっていたところがある。うまくいかない感から逃れるための、現実逃避になってしまっていた。

今は、こうしてちょっと離れた位置から語っているけど、この渦中にいるときの自分は、大まじめだし、必死だ。「現状を良くしよう」「今より成長しよう」とすごく前向きだし、がんばり屋さん。
だから、すぐ捨てようとか、すぐ次に乗り換えようとか、そんなこと微塵も思っていない。
「やっと、ずっと使える術に出会ったんだ!」って感動している。

ただ、自分の波はずっと上がり調子ではない。

 

本で紹介されるような「術」は、素晴らしいもの。ただただ、私がとろいってこと。

誤解なきよう改めて言うけれど、私は手帳術もノート術も大好き。
本で紹介されているようにうまくやれたら、どんなにか良かっただろう。

3か月、と数字で言ってきたけれど、要するにだいたい季節の変わり目に、私は体調を崩します。

体調を崩すまでいかなかったとしても、気温の変化に適応するまでの心身のダルさは必ず生じる。
そうすると、その時に活用していた「術」が、何かしらの手間暇がかかるものだった場合、続けられなくなってしまう。

例えば、転記。
その「術」において、意味あるもので、重要性を理解していたとしても、できなくなる。

あるいは、そのモノの重さや大きさ。
思考の幅と紙の面積は比例する、と言う。大きいノート、大きい手帳を使って、何でも書き込める気軽さに感動していても、調子が下がり始めると、持ち歩けなくなってくる。
ひどく体調を崩すシーズンだと、家では寝たきりのようになり、寝ながら書けないサイズのモノはこの時点で使えなくなる。

そして、メンテナンス面。
皮革など手入れが必要なモノや、インクを瓶から入れるタイプの万年筆。今も使ってはいるが、持ち歩きでは使わず、元気な時に家で使う。
それと、ここが田舎だからかもしれないが、そこらへんの文具屋には売っていないタイプのノートとか。不調時には、駅前の店に買いに行くのも、ネット注文するのもおっくうになる。在庫管理が大変だとここで脱落。

そして、サヨナラする。
これは、共感してもらえるかわからないけれど…私は挫折時、処分してしまうタイプ。
あんなに感動的な出会いだったのにも関わらず、いや、感動的だったからこそ、うまく使えなくなった時には「大好きなのにうまく使えなかった自分」への失望が大きくて、見ているのがつらくなり、捨てることが多い。

とてもつらいことだけど、処分することによるストレス発散もある。また1からやり直せるような、そんな気分になるから。

 

大好きだから、大事にしたい。

昨日、本屋に行ったら、手帳がズラリと並んでいて「そんなシーズンか」と思った。
以前なら、8月くらいから手帳に関する情報収集を開始して、何にしようかすごい悩んで、発売と同時に入手してワクワクしていた。

今回は記事にするにあたり単純化して「3か月」と書いたけど、実際は長く続いたものもあるし、「手帳は1年続いたけど、それと一緒に使うノートの使い方が迷子だった」とか、10年もの時間があればパターンも色々あったものだ。あげればキリがない。

固有名詞は、あえて挙げてない。
どの商品も、どの本も、作り手の思いが詰まったものだから、うまく使えていない話をするのなんて本意ではない。逆に「こんなに助けられました!」って言いたいのに、言えない自分が悲しい。

成長志向を持てなくなったのかもしれず、何となく寂しいけど、今はハードル低く、とにかく続けることを一番の目標にしている。
自分の心身に少しでも負担がかかるようなら、少し離れてやり方を変えてみる。調整して続けられそうなら、もう一度がんばってみる。無理そうなら、ちょっと期間を置いてみる。

なぜそうしているかと言えば、今まで、大好きなモノたちを大事にしてこられなかったから。
だって、私は、手帳もノートも大好きなんだもの。
今度こそ、大事にできるようになりたいから。